2013年1月28日月曜日

作家紹介vol.5






松本 玲子 Reiko MATSUMOTO







松本 玲子「黒目を注ぐ、あそこからここまでの空揺れるものすべて油彩、キャンバス 2012










松本 玲子「a pine tree soak the city slowly」インク、紙 2012










松本 玲子「walk across the emptiness」インク、紙 2012










松本 玲子「play in the vacant space」インク、紙 2012







景色、或る場所とそこに居合わせたものたちをモチーフに、絵画を制作している。
わたしはそれらが絵画のなかで、絵画によって、どのような光景に変貌していくかに興味がある。ある場面やものが絵画という場所を通過することによって、あらゆる運動を形成し、寄り道をする。現れるための作用は、それ自体同時に現れを打ち消そうともする。
その力のなかからイメージが立ち現れるとき、そのイメージとはひとつの「状況」であり、力の拮抗し合う場所に立ち、それらに支えられた存在の姿になる、と考えている。そのイメージに会うために絵画を制作し続けている。










赤津 桂子 Keiko AKATSU







赤津 佳子「untitled」2012










赤津 佳子「その中へと」2012







<私が絵を描くのは、私の中にある世界を探究したいからだと考え、絵を描いていたし、そのように自分の言葉として発信してきた。しかし、絵を描くことによって私の中にある世界は探究されてきたのだろうか。私の世界を投影しようとしている絵の中の世界に、絵を描く過程で生じる偶然性によってこれまで予想しなかった何かが現れた時、私の中にある世界にもその「何か」が存在するのかもしれない、と思うことがある。しかしそれは探究ではなく、偶然によって得られた発見であり、絵を描くことで生じた偶然性によって現れてきたものは、その絵の中にしか存在しないもので、私の中にある世界に「何か」としてそのまま還元されるものではないのではないだろうか。その偶然を引き起こしたのは、私自身でもあるし、その発見をしたことによって私の中にある世界は少しづつ広がっていくのかもしれない。しかし、絵を描くことによって探究されるのは、私の中にある世界ではなく、絵の中にある世界であり、私が探究したいのは、私の中にある世界ではなく、絵を描くことなのではないか。>
最近は、このような考えを持ち、制作をしています。










田澤 梨沙 Risa TAZAWA












 





田澤 梨沙「Aedificium stellarum in aqua et caelo」2012










田澤 梨沙「stillness,and separation」2012








現象を物質として捉えようとすることと、作品を作ること。

小さい頃、私は周りに漂う空気や舞い上がる埃やそれを照らす光に、何かを感じたりするもの、つまり心とよばれるものは、目の間に広がる光景のことだと思って、心ってきれいだなあと思って見つめていました。やがて、それは違うと気がつきましたが、あの時の自分にとっては眼前に広がる光景が、心だったんだなあ、と今になって振り返ります。

最近はそういうことが今の作品を作ろうとする気持ちにつながってるんじゃないかな、と思います。











vol.5 松本 玲子 赤津 佳子 田澤 梨沙

2013年1月25日金曜日

作家紹介vol.4






荘司 麻衣 Mai SYOJI







荘司 麻衣「風のなかに紛れ 森の木々に潜む」2012










荘司 麻衣「あらゆる透明な幽霊の複合体」2011









宛てのない手紙を書き綴るように
遠回りをしてこの場所へ訪れる
一瞬の光景を焼き付けるように
あらゆる断片をつなぎ合わせようとする


私は、日常の場面や風景の中で見たり感じたりしたものの手触りを形に起こすところから絵を描いています。
ドローイングの中ではそうしたものの感触を線や色や形に置き換えていったり、立ち返っては観察とデッサンを施していくことを往々に繰り返していく中で、私は空想と現実を行き来して、新たな追体験を創造しているのです。











大内 麻美 Asami OUCHI







大内 麻美「いつもの」2012










大内 麻美「リリィ」2012










大内 麻美「はじまりのばしょ」2012








  絵画するということは、限りなく演技することに近く。】
演技するとは?与えられた役まわりの中でその役になりきり振る舞うこと。また、それにより特別な空間を作り上げること。
演技をしているそのとき、発する言葉と本人の思考と身体の動きはすべて重なり一致しているとは到底考えにくい。むしろバラバラなはずである。演技する自分と、演技している自分を客観的にみる自分。そうでなくてはそれは演技ではなく現実になってしまう。
つまり演技する身体の中では言葉と知覚が激しく渦巻いている。
そこにはあらゆる思想が終結している。渦巻く。死について、生きることについて、怒りや喜びについて。そしてそれらの感情のない交ぜになった後に急に何かがひらけたりする。それは悟りの感覚に近かったりしていて、わかりかける、解るとはこの世界の原理や、地球上で起こるすべてのことが視覚などではなくもっと直接的な映像でぐっと私の中に入ってくる感じだ、世界と一体化する感じに似ている。
私は絵画を描くときにも同じ感覚を持っていることに気付いた、私が描くものにこれを描いてますというようなモチーフはない。あるとすれば自分の中の記憶やイメージそのものがモチーフだろうか。目に見えないものを目に見て描く(ありきたりな表現を使うが、つまり心の目で見ている)。
それをするとき内側で激しく渦巻く知覚や記憶などを、意識を研ぎ澄ませ統一していかなくてはならない、そして避けるべきことは内側に閉じていってしまうことだ。内側にある激しいものを閉じ込めた瞬間にそれは開けた善い表現から自閉的なものに変ってしまう、虚無だ。












豊島   Takashi TOYOSHIMA







豊島 尚「parade」2012










豊島 尚「無題」2012
   









豊島 尚「自己の解放」2011








この世の中にある物には全て、物を形成する線が、色が存在する。真っ赤なバラや高層ビル群が作り出す夜景、ダイヤの散りばめられた指輪を、私達は見て美しいと感じる。それはどこからきて、そう思わせているのか。そして私達ヒトは、生きて行く中で、感じ、経験し、考える。それらの当然な事を当然だと割り切り、アプリオリの証明を諦めてしまうのだろうか。海に浮かぶ氷山の一角は全体像を見る事は出来ないが、表層でも推測だけでも良いから全体像を知る手がかりを知る為に、制作を行なう。










vol.4 荘司 麻衣 大内 麻美 豊島  尚

2013年1月23日水曜日

作家紹介vol.3






逸見 恒沙子 Hisako HENMI







逸見沙子「2011年のできごと2011










逸見 恒沙子「わたしがみたもの」2012











わたしは毎日必ず夢を見ます。そしてその夢を記録し、それを元に制作をしています。睡眠時にみる夢は不条理で支離滅裂ですが、そのナンセンスな物語にわたしは強烈に惹かれ続けてきました。 
私が、一人の私ではなく、多くの私を内包した私である、ということの実感を夢は与えてくれます。
わたしは殺人も犯したし、死刑にもなりました。スパイであり男性教師であり、真っ白なただの固まりであり、AKB48のマネージャーでもありました。近親相姦も、友人や動植物との性行為もしました。中国のマフィアに殺されかけたり、銀行員の美しい女性に恋もしました。タップダンスをして脚がもつれる焦り、背中をヒルが這う冷たさ、低音の素晴らしいノイズミュージック。全ては事実としてわたしの中に強く存在しています。
これまではその夢を文章や絵コンテや写真などにしてきました。それらはわたしが夢を見た証拠品です。そうして消化することで、レンタルしたまま、見ていないビデオが大量に溜まっていくような不安を取り除いているのかもしれません。










寺谷 小百合 Sayuri TERATANI







寺谷小百合「ベルトコンベアーのうえの肉塊.a」2012










寺谷小百合「ベルトコンベアーのうえの肉塊.b」2012






 



寺谷小百合「bc-machida」2012







夜の街に輝く光、立ち寄る光、集う光。 現代の人々が当然の存在としている造られた光たちの、にぎやかでありながら空虚な不思議さを描きます。










馬場 恵以実 Amy BABA
 






馬場恵以実「ことばから見えたもの(見えない)」2013










馬場恵以実「ことばから見えるもの」部分 2013










馬場恵以実「ことばから見えるもの」部分 2013







私は、言葉とイメージの共存を目指して作品を制作しています。私の制作において、言葉とイメージは別々に語ることができない存在で、それらは固く結びついて同時に存在しています。私にとって、言葉とイメージとは言語表現や絵画表現と明確に分けることのできない、両者を横断するものです。











            vol.3 逸見 恒沙子 寺谷 小百合 馬場 恵以実

2013年1月20日日曜日

作家紹介vol.2





佐々木 睦 Mutsumi SASAKI 









佐々木睦「同じモノを見ていた」2012










佐々木睦「白昼夢」2012










佐々木睦「朦朧の空」2012








例えば、同じ顔を持つ人間が自分以外に居たとして不思議な感覚陥るだろう。しかし私は、双子として生まれ身近に同じ顔の持つ人間が居る経験がある。周囲の人間と違う環境下におかれそれが普通と思う状況を生まれてから22年間続けてきた。これは、故郷の風景と同じ自身の原風景である。しかし、それに疑問を覚えた。
記憶の中には、必ず姉が居て、姉を通して物事を理解し、解釈していた。記憶は、本当に私自身のモノなのかまたは、姉の記憶なのか曖昧な幼い記憶を絵画として表現したい。
自身の絵画表現は、一般的な双子のあり方、かたわれの存在による身体的影響、心理的影響を考察し、私にとって「姉」の存在がどのようなものであったか油彩画によって提示している。











西川 美穂 Miho NISHIKAWA 







西川美穂「お昼寝セット」2011










西川美穂「aIr」2011










西川美穂「pillow」 2011










西川美穂「DOG」2011








ある主人公が病院から抜け出すために布団の中にダミーを作りまるでそこに人がいるよな錯覚を起こす場面をTVやマンガで目にした事がある。
私たちは、当然のようにそこに人がいると錯覚してしまう。
しかし、その中には人ではないモノがいるのかもしれない。
すべてが見えるわけではない。人の感情も同じである。
思っている事や感じる事を、見る事は出来ない。
私たちは、相手の気持ちを自分勝手に解釈をしている。
私たちは、見えないモノを見えているようにする事で、生活を成り立たせている。
見えるモノと、見えないモノの中で私たちは生活をしている。













矢野 亜美 Ami YANO 







矢野亜美「6月の風景画」2012










矢野亜美「遠く遠くの近く」2012








私たちは日頃、いったいどれだけのものを見落としているのだろう。 
たくさんの情報が目の前に溢れ、それを見たつもりになり、理解したつもりになる。 
流れ溢れてくる情報に身を委ね、ただただ受け流してはいないか。 
 
何もかもが「過剰」なのかもしれない。すべてが満ち足りていることに安心しきった私たちは考えることを少し止めてしまった。 
 
私は絵から少しずつモチーフの情報を削ぎ落としていった。 
そして描くことは、何も無い空白の中にある「何か」を探る作業になっていく。












vol.2 佐々木 睦 西川 美穂 矢野 亜美

2013年1月18日金曜日

作家紹介vol.1

本日から、『呼ぶ、呼ぶ、呼ぶ』展 出展作家21名を多摩美術大学でのアトリエメンバーごとに全八回に渡り紹介させていただきたいと思います。第一回目となる今回はこちらのメンバーから。







菊池 奈緒 Nao KIKUCHI







菊池 奈緒「熱のための適切な関係」2012










菊池奈緒「終焉、無数の世界は発光体に」2012










菊池奈緒「影が滲んで   になった」2011









名前のないもの、複数の視点、記憶(忘却)

これらが、私の制作における重要なワードである。
時間の流れの中で取り落とされ、変容してゆく出来事、色彩、暗がり、気配。
そういったものたちに目を向けて行きたい。

私たちは忘れる、という行為から逃れることができない。しかし、失われてしまったものたちが、身体を通じて(幽霊のように)眼前に現れる瞬間がある。
私は作品をつくることで、そういった瞬間に出会うことを切望している。
そうして立ち現れたものは、透明だったり、薄片だったり、滲んでいたりして、名前を持たない事象である。

私の絵に描かれているものは、植物であると同時に植物ではなく、顔であって顔ではない。
私が描きたいものは、単なるモティーフではなく、そこには何か絵画的な事象が表れていないといけないと考えている。
  








相澤 なほ Naho AIZAWA








相澤なほ「中心を紡ぎ織る・北極星の軌道」1167×910  パネルに紙、黒鉛にメディウム











相澤なほ「中心を紡ぎ織る•北極星のプール」1000×1000  パネルに紙、黒鉛にメディウム











相澤なほ「untitled」410×410  パネルに紙、黒鉛にメディウム








私は、絵画の表面を上下左右奥行きなどがあらかじめ存在しない、あるいは無尽蔵に存在させられる、重力からも自由なひとつの空間だと捉えて、自分の<身体>と「絵を描きたい」という<意思>だけを頼りにその中に飛び込み自分の今在る位置を探り、紡ぎ出し記述するため、数を絞ったシンプルで基本的な道具と描法を用いて制作をしています。
絵を描く自分という一人の人間/身体とその運動を自分で分析する行為、虚飾や脚色のない、ドキュメンタリーのような絵が描けたら、と思っています。










末岡 由佳理 Yukari SUEOKA







末岡由佳理「ドローイング」2012










末岡由佳理「無題」2012










末岡由佳理「無題川を隔てて、土地を二分する)」2012








 テーマは「時間と空間」。
目に見えない時間を表現するために空間を利用する。私たちが使っている時間は、数えることのできる数であり、どこでも誰にとっても等しく流れ続けるように思われている。時間はすべての存在者を包括する大きな定義であって、今でもそしてこれからも、その定義の目盛りにつけられた時刻にそって生活が営まれ、存在するものが存在し続ける(と思われる)。しかし今や、時間の経過は私たちの内面にあり、私とあなたの時間の流れ方は違っている。
素材。紙である。何でもないもの(紙)を、不定形状態のなかで生き変えらせる。紙を空間的な不定形状態だけでなく、時間的にも不定形状態へ投げ込む。それは、機械的な反復であったり、あっちに行ったり、こっちに行ったり、はたまた一方通行であったり、空間的、時間的な行き来は自由。紙の交流の中で時間と空間を理解することを進めている。紙は不特定な存在として転がり、その状態の中から、自分がどうするかという選択の楽しみを与えてくれる。一種の“遊び”の感覚の中で。









vol.1 菊池奈緒 相澤なほ 末岡由佳理 

2012年12月20日木曜日

12月19日(水)『呼ぶ、呼ぶ、呼ぶ』 展 全体会議&現状報告~

 ご閲覧いただきありがとうございます。広報荘司です。


束の間のアトリエの様子。

  今年も残すところあとわずかとなってきましたー。長いように感じられた一年も終わりに近づき、ひしひしと肌身に感じられる慌ただし‥私たちはいよいよ差し迫ってきている修了制作と並行しつつ、着々と有志展『呼ぶ、呼ぶ、呼ぶ』各段取りや全体での話し合いを進めています


 




 






今回の全体会議の様子。 


『呼ぶ、呼ぶ、呼ぶ』展 ご案内のための印刷デザインについて、全体で再検討しました

ステートメントに関してもそうですが、美大生油画科ならではの斬新かつ肌理細かい丁寧なアイデアを出しあっているので、より選りのフライヤーが完成するはず。 

フライヤー、ポスターは来年1月中旬以降にお目にかかることができるようになるとおもいます。お楽しみに!!!



また展のお知らせに関し、多くの学校、ギャラリー、書店、予備校、等にフライヤー、ポスターの設置のご協力をいただけることになりました!
ありがとうございました今後とも『呼ぶ、呼ぶ、呼ぶ』よろしくお願いいたします。
   


 呼びすることになるゲストの方々についても、近々発表ができるとおもいます。こちらも随時お楽しみに!!!
 

 アトリエにお邪魔するコーナー




                            

   お疲れっ!